生き甲斐としての生活工芸
-奥会津三島町の編組
福島県大沼郡三島町は、東北地方でも屈指の雪国である。
1960、70年代の高度経済成長期に、町の総面積の85パーセント余が山にかこまれているこの寒村では急速な過疎化が始まり、「町が消えてしまう」危機感を住民の誰もが抱き始めた。その危機感の中で、「みんなが集まって、三島町の明日の姿を描こう」。を合言葉に、三島町フォーラムが始まった。最初は集まりもわずかではあったが、回を重ねるうちに会場が溢れんばかりになり、住民総参加の集いが繰り広げられた。思い起こせば、そのフォーラムは10年間続いた。10年続いたこのフォーラムを通じて、「この町は山ばかりで何もない」という住民たちの「ないない尽くし」の観念が、大きく転換した。「都市にはないものがこの町にはたくさんある」。
「新しい世紀に問われる自然との共生の暮らしがこの町では当たり前に行われてきている」。住民たちのこのような価値観の転換のなかで、「三島町生活工芸運動」が生まれた。
1年のうちの数ヶ月が雪で埋もれるこの町では、山野の自然をいただいて、古くから、男も女も自給自足のものづくりを行ってきていた。毎年行われたフォーラムに欠かさず参加していた私は、家々に伺うたびごとに、日本各地で消えかかっている自然との共生を基底に据えての生活文化とその中で生まれる生活工芸を目の辺りにし、驚愕とともに胸を熱くした。この火を消してはならないと思った。プラスチックの器物が近代的生活の象徴であるかのようにして家庭生活に入り込み、自然素材を用いてのものづくり文化を旧式の恥ずかしいものと住民たちが考え始めていた時期だけに、私は私自身の胸の高まりを素直に語り続けた。徐々に、マタタビ、ヒロロ、ヤマブドウなどの自然からの贈り物を活かしてものづくりの取り組むひとびとが増えていった。「売るためのものづくりではなく、ご自分の家庭生活のなかで使うものづくりをしよう」「この山村のなかで生きる喜びをたっぷりと表現しよう」「伝統的な技術、技法、材料にこだわりながら日々の生活のなかでもちいる生活用具を手づくりしよう」と私は語り続けた。町でも毎年「三島町生活工芸展」を開催した。雪で埋もれる数ヶ月の間に手作りした品々が展覧会場を埋め尽くすほどに町民たちから寄せられるようになっていった。
マタタビは、六月から七月にかけて白い花をつけるサルナシ科の慢性植物で、「猫にマタタビ」の言葉があるようにネコ科のライオンやトラなどもその匂いで恍惚をもよおすといわれている。楕円形状の実は食用にもなるが、三島町の男たちは、十一月以降積雪前にマタタビ蔓を採取し、ものづくりを行ってきた。自ら作った治具で蔓を三、四本に裂いて平たくし、さまざまな笊(ざる)づくりをしてきた。メカイと呼ばれる土地の野菜を洗うのに使われる四つ目笊、網目のつんだ米研ぎ笊、蕎麦笊など、それぞれの機能に応じた基本的形状の笊が、大中小のバリエーションも豊かに編まれる。この地の家々の台所の笊には、機能と形状のことなる10個以上のマタタビの笊がかけられている。水に強い材料で、水切れもすぐれている。しかも、使用していくにつれて白色の蔓があめ色にかわっていく。
編み終えた笊は、太陽が雪に当たって跳ね返る紫外線で漂白され、寒風に当たるとさらに強度も増すといわれ、一面銀世界のなかで、家々の軒下につるされて冬を越す。
宿根の多年草であるヒロロには、ウバヒロロ(学名オクノカンスゲ)とホンヒロロ(学名ミヤマカンスゲ)の二種類がある。背丈が50センチほどに成長する六月末ごろに前者を9月上旬に後者を採取し、秋口の寒風にさらし、水分を取り除く。このヒロロだけで太さ5ミニほどの細縄を綯い、山菜採りに使用するスカリ(腰かご)などをつくってきた。同時に、梅雨期に採取するモワダ(シナノキの樹皮)、アカソ(赤麻)、ノカラムシ(苧麻、青麻)などをヒロロ縄に絡めてより一層強くし、さまざまな生活用具の編組をする。近年では、手提げや肩掛けバッグが、ヒロロ、モワダ、アカソ、ノカラムシなどと組み合わせて手作りされている。このヒロロの編組はもっぱら女の作業である。
蔓性植物のヤマブドウは深山に自生し、成長した蔓は長さ20メートルから40メートルにもなる。熊に出会わないように腰に鈴をつけ、男たちは一週間ほどの採取の敵機に山に入る。標高や日照によって生育状態が1本ごとに異なるので、ものづくりの目的にかなった蔓を選び、ひび割れしないように細心の注意を払いながら樹脂を剥ぎ取る。採取した蔓を背負って山を下り、よく乾燥させてから、男たちはものづくりに取り掛かる。丈夫な素材で、昔から、腰につける鉈入れ籠、山仕事道具を入れる背負い籠、山菜取りの腰籠などに使用されてきた。最近では手提げ籠、抱えバッグ、握り飯入れなど、さまざまな編組品が手作りされている。このヤマブドウ製品も先のマタタビと同様に、つかいこんでいくにつれて艶やかになり、100年ほど使い続けられた籠はあたかも漆がぬられているかのような重厚感満ちたものになっていく。
かつては「山ばかり」「雪はつらい」が口々に聞かれた三島町ではあったが、いまでは、それらの言葉は死語になっている。「雪が待ち遠しい」と人びとはいう。雪に覆われる数ヶ月が、昔から、この地の人びとの生活工芸の時間であった。その時期が、楽しみの時間として復活したのだ。1年を通じて、夜の楽しみとして生活工芸に精出す者も現れるようになった。いまや、編組を中核としたこの町の生活工芸は、多くの人びとの生き甲斐そのものになっている。
(みやざき・きよし 放送大学特任教授・千葉学習センター所長、千葉大学名誉教授)
民藝:684 2009年12月号
特集 編み・組みの手技 より出典